渡辺雅司 (わたなべ まさし)さんは、発酵和菓子「くず餅・あんみつ」の老舗で知られる「船橋屋」の代表取締役社長を務められています。
創業1805年で213年の伝統を誇る老舗の和菓子店「船橋屋」の8代目を務められますが、
従業員や元従業員が渡辺雅司社長の会社やプライベートの様子がインフルエンサーの滝沢カレソさんにタレコミされます。
今回は、渡辺雅司社長の経歴や滝沢がレソさんに寄せられたタレコミを紹介していきます!
船橋屋の渡辺雅司社長の経歴を調査!
名前 | 渡辺雅司(わたなべ まさし) |
生年月日 | 1964年2月16日 |
年齢 | 58歳 |
出身地 | 東京都江東区亀戸 |
最終学歴 | 立教大学経済学部卒業 |
職業 | 元祖くず餅 「船橋屋」の代表取締役社長 |
座右の銘 | 「われ以外皆わが師」 |
渡辺雅司社長は、1964年2月16日、東京都江東区亀戸に生まれます。
父親は、5人兄弟の次男で、慶應大学卒の元証券マンとして働かれますが、婿養子として「船橋屋」に入ります。
父親は真面目な性格で、渡辺雅司社長が小学6年生までは千葉県の船橋市で厳しく育てられます。
中学校から公立でも有数の進学校として知られる麹町中学校に通われ、最初の中間テストは330位中306位と下位の成績を取ります。見かねた父親が自ら勉強を教えてもらい、高校3年生の頃には26位まで成績をあげられます。
高校は立大学の校舎に憧れ、立教高校に進学され、その後、立教大学経済学部に進学されます。当時は家業の「船橋屋」を継ぐつもりはなく、大学卒業後の1986年に旧三和銀行(現三菱UFJ銀行)に入社されます。
旧三和銀行(現三菱UFJ銀行)では、企業融資や債券トレーダーなどの業務を経て退職されます。
1993年には家業である「船橋屋」に入社され、2008年に8代目として代表取締役に就任されます。近年は、東京大学とくず餅乳酸菌の機能についての研究を進められています。
2017年には売上高16億円を達成し、2020年には売上高20億円と成長しています。
船橋屋の社員や元従業員からタレコミ
複数の従業員や元従業員、港区女子から渡辺雅司社長の会社やプライベートの様子がインフルエンサーの滝沢カレソさんにタレコミされます。
従業員のタレコミ
・社長が嫌で辞めていった人は数知れず。
・体調崩して辞めて行った営業はいっぱいいる。
・当時PCの使えない職人に対し、会議室で恫喝。
・会議に出席しなかった女性に恫喝やパワハラ。
会社を良くしたいという強い気持ちの現れだったのではないでしょうか?!
・目標に達していない、売上が大幅に落ちることがあると怒鳴り散らす
・くず餅、きなこ、黒蜜の製造方法を一切変えてないのに味が変わったと製造担当に電話をかけ怒鳴る
・グーグル、Twitterサジェストに3週間前から「船橋屋 ベントレー 事故」など出ていたのを消すため業者を雇う
全てが事実であるとは限らないと思いますが、上記のようなタレコミもあるようです。
元従業員のタレコミ
・「5人の新卒採用枠に1万7000人が殺到」というのは2015年の話
・新卒入社や中途入社も離職率が高く26店舗中、8店舗が店長不在
・労働基準監督署が入ったらアウト
・従業員の給料は安い
2015年に「5人の新卒採用枠に1万7000人が殺到」されることがある事自体すごいですね。
港区女子のタレコミ
ロールスロイス、スポースカーに乗せてもらうが運転は恐ろしかった
渡辺雅司社長の車に乗ったことのあるとされる女性がタレコミされているようです。
まとめ
渡辺雅司 (わたなべ まさし)さんは、発酵和菓子「くず餅・あんみつ」の老舗で知られる「船橋屋」の代表取締役社長を務められています。
創業1805年で213年の伝統を誇る老舗の和菓子店「船橋屋」の8代目を務められますが、
従業員や元従業員が渡辺雅司社長の会社やプライベートの様子がインフルエンサーの滝沢カレソさんにタレコミされます。
今回は、渡辺雅司社長の経歴や滝沢がレソさんに寄せられたタレコミを紹介していきました。
渡辺雅司社長は、高校は立大学の校舎に憧れ、立教高校に進学され、その後、立教大学経済学部に進学されます。
当時は家業の「船橋屋」を継ぐつもりはなく、大学卒業後の1986年に旧三和銀行(現三菱UFJ銀行)に入社され、企業融資や債券トレーダーなどの業務を経て退職されます。
1993年には家業である「船橋屋」に入社され、2008年に8代目として代表取締役に就任されます。
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